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執筆者の写真Takeshi Goto

エゴと向き合う手前

エゴという言葉にどんな意味づけをしているだろうか。


先日ふと考えていました。私が持っているエゴの意味は、「自分勝手」、「自己中心的」、「他人に迷惑をかけるもの」といったいいものではないという意味合いです。


トランプ大統領のような人をエゴイスティックだなと思いますが、役職以上に自分の利益や欲を優先させているように見えています。それに対して国民や周りから避難や批判を受けていて「まあ、当然だよな」と思ってしまいます。


一方で彼を指示する人もいるし、実際に大統領にまでなっているので評価を得てや期待をされている側面もあります。不思議だなと思うわけです。


トランプ大統領に関わらず、大きな権力を持ったり、たくさんの人を束ねている人に会ったり、本を読んだりしているとどこかエゴな側面があるなとも見えていて、エゴという意味づけが何か他にもあるのではないかとも思っています。


自分の中にもエゴはあることは知っていて、それはいいものではないと認識てしているので抑えるようにしています。なので抑えずに出している人を見ると「勝手だな」、「よくない」と思います。自分が抑えているのでそう思うのは当然でしょうね。


ただ一方で、「抑えている」という表現をするわけですから意識の奥では「出したい」というのもある、ような気もします。


少なくとも自分のエゴを使えていないのは確かで、コーチングでは全てがリソース(資源)だという見方がありますので、エゴもリソースと考えれば何かに使えるかもしれません。


先ほどたくさんの人を束ねる人たちにはエゴが見えるというのは、もしかしたらエゴをリソースとして使っているのかもしれません。


何のためにエゴを使うのか?自分の為し得たいこと、描く理想のためにエゴが使えたらどうか?そんなことを考えています。そもそもエゴとは何なのか?問いが増えるばかりでよく分からなくなりますが、まだ使っていないリソースとして考えると探究の価値はありそうです。










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